2022年4月19日投稿

CVCでは合併症をゼロにすることはできない、とよくいわれます。その通りと思いますができるだけゼロに近づける努力が大切です。不運にも合併症が発生した場合には、責任問題や補償の問題、ときに法的問題に発展することもあります。最近、その事故処理の仕方に、「潮目が大きく変わったな」と思える事案がありました。報道事例にもなりましたが、ある施設のホームページに公表されたあらましをご覧ください。

<〇〇病院 医療上の事故等の公表について(個別公表)>公表は令和3年6月ころ

事故発生年月:令和2年1月
患者:80歳代、女性
事故の経緯と原因:
急性心不全で入院した患者に対し、治療方針を決定するため心臓(右心)カテーテル検査を、右内頚静脈を穿刺して実施する予定が、右椎骨動脈を誤穿刺した。カテーテルを挿入する前段階として挿入したシースを抜き取る手術を行うとともに、右椎骨動脈を誤穿刺したことで動脈解離をきたしたため右椎骨動脈の血流改善と右椎骨動脈から繋がる脳底動脈を塞いだ血栓を回収する緊急カテーテル手術を実施したものの、患者は、脳幹・小脳梗塞で重篤な状態となり、その後、意識が戻らぬまま令和2年9月に死亡した。検証の結果、手技に過失が認められたため、事故に係る損害について賠償する。
損害賠償額:18891802円

【再発防止策について】

  • 誤穿刺の防止について
    ・超音波装置により十分にプレスキャンしたうえで穿刺を行うこととした。
    ・逆流血の確認は複数命で行うよう改めた。
  • スタッフ教育について
    ・血管モデルを使用したシミュレーション教育を実施した。
  • その他
    ・安全性をより高めるため、ランドマーク法、超音波ガイド法に関する研修を行った。
    ・心臓カテーテル室に、監視システムを追加導入した。

右内頚静脈アプローチからの椎骨動脈誤穿刺の報告はいくつもあり、死亡に至ったことは大変いたましいことでしたが、非常にめずらしいとまではいえない有害事象です。賠償金を支払ったという報道もたくさんあります。「前にもあった事例だ」ぐらいでと見過ごしてしまうような事案です。しかしおや?と思うことがいくつかあり、それはよくよく考えると、CVCなどの処置に関係する医師・医療機関に今後大きな影響を与えるに違いない、注目ポイントだったのです。それは、

  1. 死亡から9か月足らずで早期に解決している
  2. 自施設内で検証し過失を自ら認定している
  3. 裁判は行わず示談により解決している

という特徴から見えてきます。

これまで報道されたCVCの事故事例では、過失ではなく偶発症または合併症であると主張するケース、警察に届け出たケース、業務上過失致死/致傷で捜査が入ったケース、裁判で過失が認定されたケース、などいろいろでした。ただこの事例のように、裁判もせずに示談金を1900万も支払ったというケースがあったかなーというのが率直なところでした。それもかなりのスピード解決のように思えます。その要因は、自施設で検証し、過失と自ら認めたことにあるようです。医療裁判になったらもっと時間がかかるはずなので。

通常、医療機関としては医療事故は過失とは認めたくないはずなのに、なぜ過失と自ら認めなければならなかったのでしょうか。なぜこうも簡単に過失と認定したのか。何と照らし合わせて過失と認定したのか、という疑問がわいてきます。一般的な脱法行為かどうかの判断基準は六法全書であろうと思いますが、CVC事故の場合の過失か偶発症かを判定することができる資料とは?それはおそらく、現時点ではこれでしょう。

(出典:日本医療安全調査機構 中心静脈穿刺合併症に係る死亡の分析-第1報- 提言第1号

なぜなら、上の【再発防止策について】を見ると、この提言1で提唱された安全対策項目がいくつも入っているからです。おそらくここからコピペしたと思われます。ということは、裏を返せばこの安全対策がすべて存在していない状態で発生した事案であることを意味しています。これをどう評価したのかを想像するのは難しくありません。

まとめると、推測も含みますが、こういう流れではないでしょうか。間違っていたらすみません。

  • CVCの類似処置中に、椎骨動脈誤穿刺から最終的には死亡に至る事故が発生した
  • それが偶発症なのか過失なのかを自施設内でまず判定しよう。
  • 文献を検索すると「医療事故調提言1」がヒットした。これは4年前に公的機関が発行したものであるが、内容も妥当であり、ガイドラインとして位置付けられる内容である。
  • これと照らし合わせると、当該事案では穿刺前のプレスキャン、穿刺時のリアルタイムスキャン等の、提言1で推奨されているにエコーガイド下穿刺では実施されていない。
  • 推奨されているエコーガイド下穿刺のシミュレータ研修などの教育も組織的には行っていない。
  • この状況ではガイドライン不遵守といわれても仕方がないだろう。仮に裁判に持ち込んだところで、この提言1を原告側から参考資料として提出されたら、確実に裁判官は過失認定するだろう。
  • ということは裁判をしても勝てる見込みは微塵もない。時間と労力の無駄だし傷口を広げるばかりだろう。
  • それならこれまでの同様の判例から割り出した妥当な補償金額を提示し、早期に解決を図ったほうが得策だ。

患者さんとご家族には気の毒でしたが、また、事故がないほうがよっぽどよかったわけですが、公表された内容を読み込んで、わたしはこうした潔い判断と迅速な解決を図った当該施設の医療安全マネジメントは非常に素晴らしいと感じました。加えて、いわゆる“toomb stone safety”, -墓石安全-、ではありますが、この事故をきっかけに標準的な妥当なCVC安全対策を実行することを約束したのもよかったです。

この事例にみるように、事故調提言1が暗黙の裡にガイドラインとして事実上機能しているといえます。ゆえに、この提言内容を遵守したCVC体制を構築していなければ、CVCの有害事象はすべて「過失」認定されるかもしれないという危機感がわれわれに発生することになります。これまでは「合併症」として言い逃れられたかもしれない事象が、これからはすべて「過失」となってしまう、かもしれないのです。一発免停みたいなものです。そのように流れが大きく変わったのです。対岸の火事ではなく、今からでもこの提言1に足りないところが自施設にあればそれを補っていかなければならないことを強く警鐘した事例なわけです。このままで大丈夫か?と反省し、CVC安全体制の一層の整備や行動変容をうながすようなインパクトがあります。

実は、これは提言1が公表されたときに、すでに示唆されていたことではあったのです。というのも、日本医療安全調査機構 再発防止委員会委員の宮田哲郎氏(山王病院・山王メディカルセンター血管病センター長:当時)は、2017年4月の記者会見で、「今回の提言は、決して新しいことではなく、これまでに各種ガイドラインなどで触れられていたこと。しかし、それでも穿刺合併症に伴う死亡事例が起きている」「提言しただけでは再発防止につながっていかない。いかに周知させるかが重要」「今後も死亡事例が報告された場合に9つの提言内容が実施されているのか検討する」ということを述べていたからです。提言1は既存のCVCガイドラインと等価である、つまり事実上ガイドラインであるということを示し、今後同様の死亡事例が発生した場合に、このガイドラインに照らし合わせて判定されるだろうことを想定していたのです。

すなわち、「これは日本の公式的なCVCガイドラインであり、CVCに関与するすべての医療機関は、これが公表された時点で知っていなければならないし、それを遵守するような院内体制を構築するようにこのときから変化しなければならない。事故が発生したとき過失にあたるかどうかは、さしあたりこれを基準として判定することになるはずだから、しっかり受け止めるように」というメッセージを発していたわけです。こうして提言1は日本のCVC安全文化の重要なマイスルトーンであったことが、ここにきて明確になってきました。

ちなみに仁邦法律事務所所長 桑原博道氏によれば、ガイドライン遵守で発生した医療事故が過失認定されたのは最近では92件中2件(約2%)であったのに対して、不遵守で過失が認定されたのは66件中35件(約53%)であったとのことです。「ガイドラインを遵守している限りにおいては、被告の医療機関側として裁判官を説得できる材料になる」といいます(NIKKEI MEDICAL 2017.8)。この発言の裏を返せば本音は、「ガイドラインを遵守しないで発生した医療事故を弁護するのは骨が折れるから、どうか先生方、ガイドラインだけは遵守してくれ」でしょう。そして「ガイドラインを遵守せずに起こした事故の『過失なし』を勝ち取ってくれは、虫が良すぎると思いませんか」という声も聞こえてきそうです。

この事例の当該施設が提出した【再発防止策】はおおむね妥当と思いますが、これにあとひとつ付け加えたいと、わたしは思います。それは、基本的に、標準的に、穿刺は「短針」を使用するべし、ということです。この事例も、前頚部から椎骨動脈まで穿刺針が到達したということは、間違いなく長針を使用したからです。シースのキットに長針しか入っていないため、それを単純に使用したのだとは思います。そのような習慣なのでしょう。しかし意図的に埋設されたものではないにしろ、それが事故を誘発する「トラップ」だと認識する必要があります。それを避ける単純かつ超有効な方法はなにか。短い静脈留置針を別に出して穿刺することです。短針は誤って深く刺入しても限界があり、その分、安全側に振れます。すなわち“fool proof”として機能します。長針はそれ自体が「リスク」であり、短針はそれ自体が「安全装置」だともいえます。われわれ自身が急病やけがでCVCの同意を求められることが今後あると想像してみましょう。「短針で穿刺してください!」と強く言いたくならないでしょうか。だとしたら自分がしてほしいことを今患者にすることは、全く正しい医療処置といえないでしょうか。

「中心静脈穿刺合併症に係る死亡の分析-第1報-」が公表されて5年が過ぎました。この5年でCVCの事故は減ったのでしょうか?否、それどころか5年間に蓄積したCVC関連死亡症例は大変な数にのぼっているそうです。それを今年度中に「第2報」としてまとめて公表する準備が進められている、という噂を聞きます。また無力感に苛まされなければいいな、でもそうなる予感しかないです。

CVCの事故はゼロにはならない、とはよく言われます。ですが、過去の失敗に学び、できるだけの安全対策を講じていたうえで起きた事故とそうでない事故とでは、雲泥の差があるでしょう。そして現実的には、「トラップ」の設置個所はほとんどわかっているので、事故調提言のようなガイドラインを遵守するだけで、ゼロではないにしろ事故はほとんど防止できる、と、わたしは言い切ります。

たかがCV、されどCV。しかし、しょせんCVです。そんな基本的・補助的・医療処置のために、いつまでもつまづいているべきではありません。CVのことなど話題にも上らない、それが理想的な医療環境ではないでしょうか。